昭和の中ごろ、私の生家は農家で、親父は石切り場を営んでいた。
当時の石材運搬は馬車でやっているのが主流でした。
四角に切り出した大きな石を「ソリ」に乗せ、牛に曳かせるものも見かけたが当時の道路は
舗装もなく、凹凸があるからよく引っ掛かって立ち往生ということもあった。
家の庭に出ると通路を隔ててすぐに厩があり、茶と灰色の2頭の馬がいた。
家の宝物の馬の世話をする親父が、まだ小学生の私を必ず同行させる行事があった。
馬の爪に打ちつける「馬蹄」の取り換えをしてもらいに、30分ほどの市内の
専門業者のところへ出かける。つまり馬の手綱を持たせてもらえるのである。
この時ばかりは嬉しくてたまらなかった。近所の人が声をかけてくれるのにも
得意げに挨拶したものでした。
馬蹄屋の仕事はおおよそ2時間ばかりはかかっていたように記憶しているが
この待ち時間に、鎌や竹かごなどの必需品の買い物を済ませる。
親父はきまって「津山のホルモン焼き」の店に立ち寄り「一杯やる。」
私には隣にある「ラーメン屋」からとても旨いラーメンをもってこさせた。
大きなチャーシューの入ったラーメンの旨さは格別で、今も忘れることはない。
インスタントラーメンが出始めたのも、ちょうどこの頃のことだった。
子供心にも私はラーメンはこの味だというような強烈な概念をもっていました。
だからこれは「ラーメンじゃないぞ」との思いがあり、「ラーメン」と
名前を付けることをなぜか許せないようなそんな気持があった。
いまにして思えば、じつに小生意気な小学生であったなと思っている。
後年、私のこの時から抱いていた不条理感をあっさりと解決してくれる人と出会った。
東京で会社努めしていたころ、青森県出身の先輩がインスタントラーメン嫌いの私に
「これはラーメンじゃなくってサ。別の食べ物なのサ。
いやそう思えばいいんだよ。」訛った東京弁でポツリと言った。
そう考えるとインスタントラーメンは実に美味しく、好ましい食べ物に思えてきた。
実際によく食べるようになり、独身時代の貴重な栄養源となっていた。
日清の「チキン・ラーメン」の発明以後、即席ラーメンは世界中で認められた
食文化の一つの大きな重要アイテムといえるものです。
今でも時々食べる即席ラーメンは「日清のチキンラーメン」がやはりいちばん好きです。
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店長・山下久美子