新ブログ「たぬち庵のリタイア日記」として
再スタートします。是非お立ち寄りください。
「団塊世代のリタイア日記 HIROSHI FUJISAWA」の有益情報をお届け!
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おりました。
残暑お見舞い申し上げます。
かつてないほどの猛暑、ほんとうに暑い毎日が続いています。
東日本震災のあと、電力不足が言われていました。
計画停電もやむなしとのことでしたな。原発再稼働のための
脅し文句だったのかどうかは、知りませんがね。
多くの国民は、強いきずなで結ばれ、勤勉で実直な人々です。
私は電力会社が、当初言っていたような事態にはならないと
予想していましたよ。
政府は、自分たたちの都合で、大手マスゴミと結託して、
自分たちの都合のいいように報道します。
今頃じゃ、普通の国民なら、みなお見通しです。
御用評論家や政府や官僚の新聞紙上の御託を、信じちゃいませんや。
ともあれ、今年の夏の暑さには、みな参ってしまっていますねえ。
私の友人のヨコさんも、熱中症で担ぎこまれました。
たぬち庵の窓辺(7月下旬)
まあそんなわけで、私も今年は節電に努めようと・・。
一番の消費電力は、なんといっても夏場の冷房です。
私の親友のよろず請負業、チヨさんに、譲ってもらった
漁師さん使う漁網を、屋根がら垂らし、蔓の支えを作り
窓辺にアサガオをうえました。
植え時期が遅かったので、心配しておりましたんですがね。
いま、取り組んでいる、商品開発中の「ミネラルたい肥」の
実験も兼ねて育ててみました。
おかげで連日の猛暑の夏にも関わらず、電力控え目、ひと夏を
アサガオの緑のカーテンで、楽しむことができました。
たぬち庵の窓辺(8月25日)
たぬち庵の仕事場もいまでは、すっかり脳梗塞の後遺症を
克服するための、リハビリ所となっています。
朝の掃除、朝の散歩、メール閲覧、コメント。
もう今では、まとまった仕事になってはいませんがね。
ブログの更新も滞ったままです。
たぬち庵の東 散歩コース(8月下旬)
向こうに見えるのは「ガイナーレ鳥取」の本拠地スタジアムです。
ナイター用の照明の向こう側の山中に、風力発電用の風車が
回っています。
お盆が過ぎると涼しくなる。そう思っていましたが
猛暑はなかなか衰えてくれませんな。
鳥取は真夏の焼けつくような太陽が、連日照りつけ
気温は35℃前後で、熱帯夜がつづき寝苦しい夜が続いています。
この時は、外輪山の麓の浜から撮影した
あの内輪山からの様子が見たくて行ってみた。
あの山の中が火口になっていて、そこもまた
湖になっている。
久しぶりのブログ更新となりました。
寒に入り、寒い毎日が続いています。
持病持ちの爺さんには少々こたえます。
私の住む鳥取の冬は雪がよく降ります。
この冬も山間部での積雪は半端ではありません。
亡くなった母は市内から車で小一時間も分け行った
山間部から、お隣の岡山県津山市に嫁いだ。
見合いをしたその日に即決で縁談が決まったそうです。
その理由は、冬に雪がないところで暮らしたかった。
戦中戦後の大正・昭和初期の雪深い山村で
暮らした乙女の願望であったに違いありません。
だから、父の風体や男ぶりが気に入った訳では
なかったのです。
県境の峠を越えたら、気候はガラリと
変わります。
この黒尾峠の頂上がトンネルになっていて
美作の国と因幡の国の国境いになっている。
山陰と山陽側を分けるラインなのです。
雪深い山陰鳥取と晴れの多い山陽側は
気候ばかりではなく、そこに住む人々の
気質まで変えている。
「国境の長いトンネルを抜けると
雪国であった。夜の底が白くなった。」
川端康成の小説「雪国」の出だしの一節は
有名ですが、私は毎年、その実感を体験するのです。
フィリッピン美人姉妹を紹介します。
二人とも今は日本語を一生懸命勉強しています。
二人はいま、日系の企業でアルバイト職員をして
いますが日本語をマスターすれば給金が大幅アップ
するからと熱がこもっています。
上の英語表記は彼女らのフェースブックに
アカウントされている名前です。
fecebookで交流してみてはいかがかかな。
もちろん漢字は理解できませんが
Hi! hajimemasite. watasi wa nihon jin no
YAMAMOTO desu.
昨夜も妹のジャニカさんから、ogenki desuka?
わたしのウォールへ投稿してきました。
フェースブックやツウィッターなどのソーシャルネット
ワークはこれからの世界の有り様を写し出すメディア
として、地域人種を超えた素晴らしい道具になりました。
その威力はチュニジアはじめエジプト、リビア、などの
独裁政権を崩壊させるほどの破壊力があるのです。
私もfecebook に参加しています。
鬱陶しい梅雨空が続く日本を後にして南の国フィリッピンの旅に出た。
今回は仕事の方に重点を置くことなっていたが、もともと観光地など
を廻る趣味はないのでかえって楽しさが増すだろうとの思いがあった。
この旅を終えるころには、東日本大震災の復興も概ね方針が決定し
現内閣の顔ぶれも変わり、きっと日本は再生に向けてスタートしていると
期待しての旅の出発でしたが・・・。
しばらくは、たぬち庵爺さんの旅の記録を少しづつ紹介して行きます。
日本をたち、マニラ近郊の下宿で落ち着く間もなくルソン島北部の
イロコスの田舎街を訪ねた。
自然豊かで、緑につつまれたのどかなローカル空港に降り立った。
フィリピン国内航空セブパシフィックのカラフルな機体が
南国の気だるい風にエキゾチィックな気分を盛り上げてくれます。
空港施設までは100b ほども歩いたろうか。
50名ほどの乗客は生ぬるい風がほほをなぜていくのを
感じながら、さながら公園を散歩するかのようだった。
のどかな雰囲気を愉しむようにゆったと歩くカップルや待ち人に
いっときも早くと急ぎ足の若者。だが、概してこの国の人々の
けたたましく走り回るジープニィーやタクシー以外に急ぐ姿はあまり見かけない。
気候風土と関係ありそうだがよくはわからない。
昔からこのイロコス地方の人々はイロカーナ(女性)、あるいはイロカーノ(男性)
とよばれ、気質は働き者で締まり屋が多いと言われる。
しっかり者の女の子などをからかい気味に「あなたはイロカーナでしょ!」
なんていうのをよく聞くことがある。
この地での目的は、二人の女性(イロカーナ)に会うためにやってきたのです。
6月15日 19時05分頃、夕闇せまる西の空を見上げると
幾筋もの夕焼け雲が、美しくも不気味さをはらんで横たわっていました。
鳥取市、千代川現太橋左岸側から西の空を望む。
(画像では、その異様さは伝わりませんが、筋のような雲は
蛇の鱗状に不気味な輝きを放っていた。)
あたかも、巨大な蛇が横たわり、赤い鱗を鈍く光らせて怒りに満ちた
様相になにかしら普通ではないものを感じた。
帰社を急ぐわが愛車、ポンコツパジェロのブレーキを意識もなく
踏み込んでいた。停車し、しばらくは異様な夕焼けに見入っていました。
はじめて見ました。「地震雲?」知らずして
その美しさに、しばし我を忘れた。
はい、異様に美しい夕焼けに見とれていて、遅くなりました。
カメラに収めていますからというと、さすが爺さんと褒められた。
喜んでいる場合じゃありませんな。ほんとうに地震がくれば
それは大変だ。悲惨な東北大震災のようすが脳裏をよぎった。
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